増田製粉所と宝笠の歴史

 1868年の開港以来、欧州航路の終着地となった神戸港には、ヨーロッパから多くの人や物資が入り、神戸の街も外国の文化を積極的に受け入れることで発展してまいりました。

 やがて居留地が整備され、外国人が定住し始めると、街には洋菓子店が次々と誕生します。その当時、主に売られていた商品はビスケットやチョコレート、シュークリームなどでした。

 明治中期以降、「メリケン粉」と呼ばれるアメリカ産の小麦粉が輸入され始めたことにともない、日本人の口に合う洋菓子が作られるようになると、洋菓子は神戸の人びとの間でも人気を博すようになりました。

 1906年、横浜で砂糖や小麦粉の輸入商を営んでいた増田増蔵は、当時日本向けに小麦粉を輸出していたアメリカの「センテニアル製粉会社」と共に、神戸に「増田増蔵製粉所」を設立することを決断します。

 機械も技術も、すべてアメリカから最先端のものを取り入れ、当時の日本では珍しかった「外国産小麦を使用した小麦粉」の量産に成功しました。このことは、当時の日本では画期的な事業と言われました。

 その後も積極的に製粉技術の研鑽と試行錯誤を積み重ね、ついに菓子作りに最適と言われる小麦粉「宝笠」を誕生させます。(商標登録日:1907年8月21日)

 「宝笠」は、当時より高級品だったカステラ用の粉として全国にその名を轟かせます。品質に対する評価も極めて高く、当時から数々の賞を受賞しております。

180421_帝国製産品共進會褒賞之証
包装機②

 1950年以降、神戸のお菓子職人たちは、今日のお菓子文化の礎となるお店を次々と誕生させます。

 職人たちは「宝笠」を使って付加価値の高い商品を開発し、人気を得ていきました。

 職人のお弟子さんも、そのまたお弟子さんたちも「宝笠」を使って特徴ある新しいお菓子を生み出していく、といったように「宝笠」は神戸を中心とする日本のスイーツ文化と共に成長し、発展してまいりました。

 そしていま「宝笠」は、日本のみならず世界で愛される存在へと、進化を遂げつつあります。

 2018年、増田製粉所はハラール認証、FSSC22000を相次いで取得し、グローバルな視点からの品質レベルの向上に取り組んでおります。

 増田製粉所、そして宝笠印小麦粉は今も昔もそしてこれからも、技術と品質に揺るぎない信念を携え、日本のスイーツ文化と共に歩んでまいります。